アスカ・リターン

製作 越後屋雷蔵

プロダクション・モデル01


赤い水辺。白い砂浜。

碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーはそこにいた。

アスカはシンジに首を締められていたが、不思議にそれが嫌ではなかった。

シンジの頬に手を添えながら、アスカは感じていた。

(こいつに殺されるなら、まあいいかな。)

アスカの心は不思議に落ち着いていた。

そして、泣き崩れるシンジを見ながら一言呟く。

「・・気持ち悪い・・」

それが、なぜ自分の口から発せられたのか、アスカ自身が理解不能だった。

実際、それほど気持ちが悪い訳ではなく、むしろ気分は良かったと言っていい 。

目を瞑りながら、アスカは思う。

(あの時、傷ついて自我が崩壊しそうになっていたのはあたしだけじゃなかっ たんだ。あたしが先に壊れてしまっただけなんだ。そのせいで、シンジはあの男 をその手で握りつぶす事になってしまった。シンジには耐えられない出来事だっ たろう。レイが教えてくれたあたしが壊れて復活するまでの事。シンジがどれほ ど辛い気持ちでいたのか初めて知った。辛いのはあたしだけじゃなかった。もっ と辛い目にシンジは遭っていた。)

アスカが気が付く前に、リリスとなった綾波レイはアスカに全てを語っていた 。今までの事、これからの二人について。そして、綾波レイとしての気持ちを。

(あの娘は言ってた。シンジはレイよりあたしを選んだ。あの娘の本心はシン ジと一つになりたい気持ちで一杯だった。愛していたのね。それでシンジの気持 ちを最優先させたのね。でも、あたしは・・・)

アスカの心に後悔の念が浮かぶ。

(あたしがもっとしっかりしていれば・・・シンジやレイの気持ちを考えてあ げていたなら・・・もっと素直になれていたら・・・戻りたい・・・もう一回、 やり直せたら・・・戻りたい・・・あの時へ・・・)

アスカの意識は、暗い闇の底へと沈みこんでいった。

薄れる意識の中で、アスカは今はリリスとなった綾波レイに向かって語り続け た。

(・・・帰してあげる・・・あんたに・・シンジは・・・あんたが・・・)

意識の消えたアスカの魂は、やがて白く光る小さな穴に吸い込まれていった。



アスカが目を覚ますと、そこに見えるは見慣れた天井。

ボーっとした頭を振りながら、アスカは辺りを見回す。

(なんだ、これ?あたしの部屋?あれ?あれ?なんで?)

ガバッとベッドの上に座り直して、眉間に皺を寄せて精神を集中させる。

(お、落ち着け、落ち着け。まず、現状を把握するのよアスカ。)

混乱しそうになる思考を、懸命に宥めながらアスカは部屋の中を、再び眺めた 。

(なんの変哲もないいつものあたしの部屋。あたしが目覚めたのはかなり荒廃 した第三新東京市だったはず・・・まさか、時間を逆行したっていうの?物理的 根拠はなにも無い。でも、あたしの記憶は・・・)

アスカはゆっくり立ち上がって、リビングに移動する。

テーブルの上に、シンジが書いたらしいメモが残されていた。

「アスカへ。僕のシンクロテストは午前中だから先に言ってるから。お昼は用 意しておいたから暖めて食べてね。シンジ」

アスカは、シンジらしいわと苦笑しながら、再び思考を始める。

(シンクロテスト・・・いつのテストだろう。もし、時間を戻ったのなら、そ れを確認しなくっちゃいけないわね。)

とりあえず、するべき事を確認したアスカは、シンジの用意した食事を取る事 にしたのだった。




ネルフ。

シンクロテストでエントリープラグの中で、アスカが何か考え込んでいた。

(生理中のシンクロテスト・・・あの時なのかな・・)

まだ、精神的に混乱しているアスカのシンクログラフは、低調だった。

プラグのスピーカからリツコたちの会話が聞こえてくる。

「ひどいものね。昨日より更に落ちてるじゃない。」

「アスカ、今日調子悪いのよ。二日目だし。」

彼女らの会話の内容は、記憶にあった。

(だとすると、シンジに負けたって思いこんでいたあの時なのかな)

リツコの声がプラグ内に響いた。

「アスカ、上がっていいわよ。」


女子トイレからアスカが、下腹部を押さえながら出てきた。

(これからエレベータに乗ると、レイがいるんだ。この頃のあたしはシンジに 負けたって思いこんで、なにもかも嫌になってたんだった。そして、人の心に入 り込む使徒がくる。)

エレベータまで歩く間、これからレイに対してどうするかを考え、まとめたア スカだった。

エレベータのドアが開く。

そこには、やはりレイが乗っていた。

乗って壁にもたれてレイの言葉を待つアスカ。

前と同様な、長い沈黙。

「心を開かなければ、エヴァは動かないわ。」

(やっぱり、こうなるのねえ)

落ち着いていたアスカは、言葉を返す。

「あたしは心を閉ざしてるのね。」

「そう。エヴァには心がある。」

「エヴァは心を持ってるのね。」

「わかってるはずよ。」

アスカはレイの肩を掴んで、やや強引に振り向かせた。

「もちろんよ。そして、あんたは人形じゃあないって事もわかってるわ。」

レイは少し驚いたように、目を見開いていた。

「あんたは人間なんだから、なんでも人のいうまま動いちゃいけないの。碇指 令が死ねって言ったって、死んだりしたら駄目なのよ。」

「・・・ど、どうしてそんなこと・・いうの?・・」

アスカはレイを抱きしめながら言った。

「あんたが好きだからね。ううん、みんな、みんな大好きだから。みんな幸せ にならなきゃいけないから・・・あんたはもっと自分の心に正直にならなくちゃ 駄目よ。わからないなんて言わせないわ。シンジが好きって事から目を背けてる だけなんだから。」

エレベータが止まる。

アスカはレイに背を向けながら、ドアが開く前に早口で呟く。

「あんたがなんであれ、あたしはあんたを人間と認めてる。あたしが言うんだ から間違いなしなのよ。」

アスカは背を向けたまま、開いたドアから走っていった。

呆然と見つめるレイを残して・・・

「・・わたしが・・碇くんを・・好きなの?・・好きって気持ちなの?・・こ れが・・」




ケイジに立って、修復された弐号機を見つめるアスカ。

切断された首や両腕は、完全に直っていた。

「ママにも辛い目に遭わせちゃったね・・・」

縋り付きそうな視線で弐号機を見ていたアスカだったが、一転してニッコリ笑 うと

「また苦労かけるかもしれないけど、よろしくねママ。」

弐号機に言い放つ。

その時、ケイジに警報とアナウンスが響きわたった。

「総員、第一種戦闘配置。対空迎撃戦、用意。」

アナウンスを聞いていたアスカは、かつて経験したこの使徒戦を思い出して、 思わず身震いしていた。

心を引き裂かれるような感覚が、脳裏に蘇ってくる。

「ふん、こんな事で挫けてちゃ駄目よね。いくわよ、アスカ。」

自分に喝を入れてエントリープラグに乗り込んでいく。



「弐号機アスカは零号機のバックアップで発進準備。」

ミサトからの通信がエントリープラグに入ってきた。

(レイをあの使徒の精神攻撃に晒す訳にはいかない。まだ、あの娘は気づいて いない・・」

「駄目よっ。弐号機、発進します。」

リニアレールを進み発進していく弐号機を、司令所では複雑な面もちで見つめ るメンバーたちがいた。

「ここで駄目なら、アスカもここまでか・・・」

「文字通り、ラスト・チャンスって訳ね。」



「二回目だからね。今度はやられる訳にはいかないのよ。」

長距離砲を片手に持ったまま、弐号機は仁王立ちのままだった。

司令所から無線が入る。

「目標、未だ射程距離外です。」

「そろそろくるか・・・」

空の彼方からチカッと光が飛んでくるのが、肉眼で確認できた。

「きたな・・」

使徒の放った光に包まれる弐号機。

プラグ内のアスカは、グッと歯を食いしばる。

「ぬううううううう・・・」



「指向兵器なの?」

「熱エネルギー反応はありません。」

「心理グラフ崩れかかっています。精神汚染が始まるギリギリの所です。」

「まさか、使徒が心理攻撃?」

司令所では成す術なく、モニターを見つめるしかなかった



警報が鳴り響くプラグの中で、アスカは気合いを入れ直す。

「よっしゃあっっっっ」

長距離砲を投げ捨てて、その場にドッカリ腰を降ろす弐号機。

「こおおおいっ。みんな見ろっ。今のあたしの過去を。そして理解するがいい っ。」

アスカは使徒に対して、自ら心を解放して全てをさらけ出した。

不思議に苦痛は薄れていき、なぜかモゾモゾするようなくすぐったい感覚がし ていた。



「光線の分析は?」

「可視波長のエネルギー波です。ATフィールドに近いようですが、詳細は不明 。」

「アスカは?」

「精神汚染突入のラインでしたが、徐々に押し戻しています。」

ミサトが不思議そうに呟く。

「あの娘、こんなに精神的に強かったんだっけ。」



零号機がポジトロンライフルを構え、使徒にロックオンされるのを待っている 。

「全て発射位置。」

レイはトリガーを引く。

発射されたエネルギーは衛星軌道に乗って使徒に進むが、直前で弾かれる。

「まるで、エネルギーが足りない。」

「使徒は人の心を知ろうとしてるの?」

モニターの中では、光に包まれた弐号機が身動きもしないで座っている。



「まだまだあっ。こんなもんじゃないわよお、あたしの過去はあっ・・・」

自由に心を探らせていたアスカは、サード・インパクト以降の記憶の頃になっ て、使徒が驚愕している感覚を感じ取っていた。

「そう、そうよ。こんなになってしまうのよ。」

アスカは光を通して、使徒に語りかけた。



「僕が初号機で出ます。」

シンジが叫ぶ。

「駄目だ。レイ、ドグマを降りて槍を使え。」

「碇っ、それは・・・」

「今は、これしかない。レイ、急げ。」

しばらくして零号機が槍を持って、地上に現れる。

思いっきり反動を付け、槍を空に向かって飛ばす。

槍は一気に成層圏を抜けて、使徒めがけて飛んでいく。

槍が到達する前に、使徒はフィールドを解除し、まるで自ら消え去るのを望ん だかのように槍の前に、その身をさらした。

刺さる直前に、使徒は消滅していく。



アスカはその時、使徒からのメッセージを受け取っていた。

「そう、そうなの。あんたも闘いたくはなかったのね。あたしに?あたしに託 すって?・・・ありがとう。がんばるね。」

使徒からの光は、やがて消えていき座ったままの弐号機だけが残された。



「弐号機、グラフ正常位置。」

「パイロットの生存を確認。」

「機体回収をいそいで。」



ケイジで回収される弐号機を座って見ているアスカの側に、シンジとレイが近 寄ってきた。

躊躇していたシンジが声をかける。

「・・・よかったね、アスカ」

「・・・・・」

「・・弐号機パイロット・・大丈夫?・・」

スックと立ち上がったアスカは、軽やかなステップでターンするといつものポ ーズを決めて言い放った。

「あたしを誰だと思ってんの。この天才、惣流・アスカ・ラングレーさまがこ れしきの事でへこたれる訳ないでしょう。」

「・・だ、だいじょぶそうだね・・・」

「あったりまえじゃないの。心配しすぎよ、バカシンジ。お腹空いちゃったわ 。ご飯食べていこう、みんなでさ。」

ひまわりのような笑顔でアスカは言った。

「ご飯なら、僕が・・」

「たまには、息抜きも必要よ。たまにはね・・さ、着替えて行こう。」

アスカは先頭に立ってロッカールームに引き上げた。



ロッカールームで着替えるアスカとレイ。

ふと、視線を感じてアスカは振り向くと、レイがジッと見つめていた。

「レイ、なに?」

「・・なんだか、違う・・あなたは弐号機パイロットなの?・・」

「ふふふ、あたしが弐号機パイロットじゃなかったら、誰だっていうのよ。」

おかしそうに笑いながらアスカは答える。

「・・わからない・・でも、感じが・・それに、わたしの事をレイって呼んで るし・・」

(は〜ん、なかなか鋭いのねえ)

アスカはレイの観察眼に、ちょっと驚いた。

だが、違うのは心が今の時点の心ではないだけで、アスカ本人は変わりがない のだ。

「あ〜ら、レイって呼ばれるのはシンジだけって言いたい訳〜。あたしはレイ って呼んじゃいけないの〜。」

ミサトばりのニヤリを浮かべて、アスカはレイに擦り寄っていく。

レイの肩に腕を廻して、耳元で囁くアスカであった。

「さっきも言ったけど、あんたはシンジが好きなのよ。どうせわからないとか 言うだろうけど、好きって事は確定事実として受け止めなさいよ。もし間違って たら修正すりゃいいんだから。いい、わかんなかったらまず聞くことよ。いくら でも教えてあげるからね。」

「・・確定事実・・修正可・・まず聞くこと・・」

「ああ、でもね聞く相手には気を付けるのよ。リツコやミサトなんか論外だか らね。」

「・・論外・・」

「まあ、それは追々ね。さあ、行こう。シンジが首長くして待ってるわ。」

「・・ええ・・」

ロッカールームを後にする二人だった。




それからのアスカはなんやかんやと理由を付けては、しきりにレイをけしかけ てシンジに接近させようとしていたのだった。

アスカのシンジに対する態度は、いつもと変わらなかったがレイが最初に気づ いたアスカの変化を、シンジも気が付き始めていた。

ここは学校の帰り道。

「ねえ、綾波。最近のアスカなんか変わったと思わない?」

「・・碇くんも、そう思うの?・・」

「うん、態度なんかは変わらないんだけど、優しくなったと言うか、穏やかに なったと言うか。まあ、僕にしてみれば良い傾向なんだけどね。」

「・・わたしにも、優しいの・・いろんな事を教えてくれるの・・・」

そう言いながら、頬を赤らめるレイにシンジは心臓を、こう鷲掴みにされて雑 巾絞りされている様な感覚を覚えていたのだった。

(な、なんか、最近綾波って、かわいくなっただけじゃなくって、こう、い、 色気っていうのかなあ、そんなのがムンムンしてる気がするなあ・・)

無論、アスカのご指導の成果である事は、言うまでもない。

レイは、今まで感じた事の無い感覚と、その原因、理由などをアスカに叩き込 まれている内に、だんだん年頃の女の子らしくなっていった。

アスカの刷り込むような指導と、レイの本来持っている物覚えの良さの賜物だ った。



その頃、アスカは入院していた。

使徒による精神攻撃の後遺症であろうか、体調の不良が出てきていたのだった 。

既に入院して三日目。

飽きていた。

もう体調はすこぶる良好になっている。

一人おとなしくベッドに横になっているのは、アスカにとって苦痛以外の何物 でもなかったが、これからの事をゆっくり考えるにはかえって好都合と言えたの だった。

(次の使徒戦で、レイは死んでしまうんだった。そして三人目か・・・)

アスカは思い返す。

レイを助けに出されても動けなかった、あの時を。

(シンジを助けるために、その身を捨てたあの娘。今、あの娘は人形から人間 になりつつある。なんとか自爆だけは避けないと。三人目にしない事が指令やゼ ーレの補完計画を阻止する鍵になりそうだわ。)

そんな事を考えているところに、ミサトが入ってきた。

「アスカあ〜、元気い〜、」

脳天気だった。

が、アスカは知っている。

ミサトが加持さんからの、鳴らない電話を待ち続けている事を。

元々わざとらしい演技を得意にするミサトだったが、ここの所わざとらしさに ますます磨きがかかってきているようだった。

(悲しいなら悲しい顔すりゃいいのに・・)

アスカはそんな事も考えたが、ミサトの演技が自分に心配をかけさせまいとす る思いやりだという事が分かっているから、あえて演技に乗ってやる事にしたの だ。

「相変わらずねえ、シンジのバカが移ったんじゃないのお。」

「病人のくせに、辛辣だわね。」

「こんなとこに缶詰になってりゃ辛辣にもなるわよ。大体、元気ならこんな所 には居ないのよ。」

「まだ調子が悪いの。」

「ううん。もうすっかり元気よ。いい加減退院したいんだけどね。なんとかな んない?」

「ああ、今日いますぐにでも退院してもいいわよ。それでね、あたししばらく 本部に缶詰になりそうだから、シンちゃん頼むわ。」

「ふ〜ん、缶詰ねえ。」

アスカの頭に、パッと閃いた事があった。

「ねえ、ミサト。あんたしばらく居ないんなら、レイを家に住まわせてもいい でしょ。チルドレン三人まとまってりゃ、ガードのみなさんも楽になるし、呼び 出しがあっても到着時間はピッタリ一緒よ。ね、いいでしょ。あのヒゲ親父に言 っといてよ、多分レイの希望でもあるって言えばなんとかなると思うわ。」

「え〜、指令にそんな事言うのお。あたしがあ〜。」

「あんたが言わないで誰が言うのよ。」

「辛辣う〜」

「退院がてらにレイんとこ寄って連れてくからねえん。よろしくう〜」

アスカは手早く着替えながら、ミサトにウインクするのであった。





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