オール・リターン(改訂版) 
序章
製作 越後屋光右衛門雷蔵


 
ミサト01
 一瞬の瞬きをした眼を開ければ、そこは変哲もない街並み。遠くに、ありきたりの商店街が立ち並ぶ風景が見える。その街の手前の国道をわたしは車を走らせているらしい。
 視線を落とすと、見慣れたステアリングを握るグローブを填めた細い手。それは紛れもなく私自身の手だった。
 聞き慣れたルノーのエンジン音。意識なぞしなくとも瞬間的に路面の変化の修正を車体に伝達出来るほど慣れ親しんだ私の愛車。そうそう、これはローンが長いのよね。
 はて・・・・・?
 自分の車だ、自分が運転していておかしい事など有りはしない。でも、疑問は夏の入道雲の様に湧き出している。
 そう、「なぜ私は車に乗っているの?」
 そう、「どこに向かっているの?」
 そう、「ここはどこ?」
 そう、「そもそも、どうして私は生きているの?」
 疑問はこれに止まらず、次から次へと山積していく。
 車を止めて、考えた方が良いような気もするのだが、何故か右足がアクセルを緩めようとしなかった。
 急いでいるのだ。と私は直感した。ふと、ルーム・ミラーに眼をやれば、そこには焦りの色をありありと浮かべる私の顔。
 一回こんなケースがあった気がする。
 あれは確かシンジくんが第三新東京市に初めて来た時の事だった。あの時は焦っていたわ。使徒は来るはエヴァはまともに動かないは戦略自衛隊のN2爆弾攻撃の時刻は迫るは、もう滅茶苦茶だった。
 今となっては懐かしい思い出ね。そう考えながら一人苦笑してフッとウインドウから外を見ると、戦自の攻撃機が飛んでいた。
「はぁ?」
 思わず声を出すわたし。それでも右足の力は緩まない。困惑するわたし。
 よしてよね、まさかこの先にシンジくんがいるなんて事が。
 あっちゃった。いた。シンジくんが。ポケットに手を突っ込んで半身に構えて立っている。
 わたしは言うことをきかない身体をむりやり動かし、愛車のルノーをスピンターンさせて一目散に逆戻りを開始した。
 
 
 

シンジ01
「ここに戻ったのかぁ。」
 ぼくは大きく息を付きながら、空を見上げた。青い空は澄んでいて白い雲とのコントラストがクッキリしてとても綺麗だった。
 思えば、空を見上げてこんな感慨に耽るなんて今まで無かった事だった。
 サード・インパクトの選択権を押しつけられ、今まで考えないようにしていた、と言うより考える余裕も無いほど自分で自分を追い込んでいて考える事も出来なかった「自分」というモノをむりやり考えさせられて、結果個体という選択をした。
 ぼくはぼくだ。ぼくは碇シンジだ。ぼくがぼくである限りぼくはぼくで有り続ける。人間得手不得手があって当然だし、心の傷の一つや二つあったっておかしくはない。だから、こんな情けないぼくだってぼくだから、受け入れて認めるしかない。人間は生きていれば否応無く歳を取りそれなりの経験を積む。その積み重ねが成長という事なのだろう。それからすれば、ぼくはまだまだこれからだ。
 ま、いささか戻りすぎって感じもしないではないけど、あの地獄を経験したぼくにとってはここからやり直せるのは、かえって良い事なのかもしれない。
 両手を伸ばして大きく伸びをすると、気分も新たに引き締まる気がする。戦自の攻撃機も見えてきた事だし、そろそろミサトさんが慌てて迎えに到着する頃だ。
 タイアのスキール音が聞こえてきた。到着したようだ。
 まっしぐらにこっちに向かって突っ込んでくる青いルノー。そう、ここからテール・スライドさせて急停止するんだ。そしてドアを開ける。
 あれ?止まらない?反転してる。アクセル全開にしてるみたいだ。タイアがスモーク上げて回転している。
 戻っていく。
 どういう事?
 何故戻る?
 迎えに来たんじゃなかったのか?
 ぼくは猛然と、逃げたルノーを追いかけて走りだした。
「なんだよぉ・・・」
 
 
 
 

レイ01
 眼を開けるわたし。ほんの一瞬の瞬きだった事だろう。でも、それは驚天動地の始まりに過ぎなかったらしい。
 生きてる・・・・・?
 身体に感じるはLCLの慣れた感覚。どこかで何かが叫んでいるように聞こえる。何だろう?聞き覚えのある声が、何か必死で叫んでいる。
 その時、わたしを襲う強烈な衝撃。覚醒したばかりの頭を更に混乱させた。苦痛に呻きながらわたしは前を見てしまった。そこには懐かしい第三使徒の顔があった。
 ようやく、無線で叫ぶ声が理解出来た。赤木博士の声だった。
「レイ!!その辺りにミサトの車があるはずよっ!急いで探して守って!」
 わたしは取りあえず辺りを見回した。遙か彼方を疾走する車が、確かにあった。
「・・・・・車はいましたが、守る必要の無い距離を本部方面に向かって走行中ですが、どうしましょう?・・・・・」
 わたしは見たままを赤木博士に報告する。ボ〜ッとする意識のままに。
「そんなバカな・・・」
 絶句している赤木博士に、わたしは視界に入っているその続報をもたらしてあげた。
「・・・・・誰かがその後を追いかけて走っています。どこかで見たような格好ですね。凄い勢いで走っていきます・・・・・スピードは車とあんまり変わりません・・・・・」
 はて?格好もさることながら、姿形に見覚えがある。誰?心が落ち着くようなそんな気が・・・・・
 そんな思索に耽るわたしを現実に呼び戻す赤木博士の声。
「それはサード・チルドレンよっ!至急保護しなさいっ!」
 サード・チルドレン?サードと言えば碇くん。碇くんと言えば司令の息子。そして、わたしがひとつになりたいと願った人。そう、わたしのこの世で一番大切な人。誰が忘れたりするものですか。
 まるで夢のよう。生涯初の夢は最高の夢となったのね。嗚呼、夢なら覚めないで。
 保護と言うなら保護しましょう。だって碇くんを護るのはわたしなんだから・・・・でも、かなり離れてしまったわ。
 そう思っていたわたしの背後から、再び衝撃が襲った。ガクッと膝を付いて振り向けば、そこには先ほどの第三使徒が更なる攻撃をわたしに仕掛けようと身構えていた。
 わたしの心に満ちたのは憤怒の感情。
 わたしの最高の初夢を覚まそうとするの?保護なのよ、保護。あなたにわたしの崇高な義務を妨げる権利は無いの!
 邪魔よっ!!
 わたしは右手を無造作に横に振り払った。第三使徒は少し後ずさりする。丁度いいわ、さあ、保護、保護。
 そう思って再び碇くんが走り去って行った方へ、視線を移す。すると、初号機がフワッと浮き上がった感じがした。と同時に凄まじい衝撃がわたしを直撃した上、脳天にも強烈な痛みを覚えてわたしの意識は失われた・・・・・ようだった。
 
 
 
 
 
 
 
 

「・・・・・目覚めてしまった・・・・・」
 わたしはベッドの上で眼を覚ます。意外と見慣れた天井。どこか懐かしい感覚。嗚呼、わたしはいまだにLCLの海で記憶を漂わせているのかしらん。最高の夢を見ていたのに、続きがベッドの上からなんてあんまりと言えばあんまりよ。
 わたしは泣きたくなって頭を抱える。
 と、その拍子に脳天から全身を貫く激痛に、身体をベッドの上に七転八倒させてしまった。抱えた手のひらにはポッコリ盛り上がったたんこぶがあった。
「・・・・・痛いはずね・・・・・」
 感情の欠落したその物言い。昔の夢?わたしはそんな事を考えた。そして思う。嫌な夢。
 夢?
 夢ならば痛みなんか感じないはず。そう何かの本に書いてあったのを記憶している。
 わたしは手をジッと見つめながら、その手を擦り合わせてみたりする。
 感覚がある。
 その手を頬に持ってくる。その手に感じるは自分のすべすべした肌の感触。
「・・・・・本当に、生きてる・・・・・」
 ゆっくり客観的に今観ていた(と思っている)夢の内容を思い返してみる。
 エントリー・プラグの中にいるわたし。そしてリニア・トレインの路線沿いを走る車。学生服を着た少年。垣間見た使徒の姿は第三使徒。
「・・・・・どうして、ここにいるの?・・・・・」
 覚醒したわたしのままで・・・
 
 
 
 

ミサト02
 眼から力と光を抜いて、ジッとリツコのお小言を聞き流している。ここはネルフが誇る(?)独房だった。
 わたしは碇シンジを迎えに行くという、いわば公式な任務に当たる仕事を放棄して本部へ帰ってきていた。
 ここに帰る道すがら、どうにか現状を現実的に認識する事に成功していた。どういう理由かは理解不能は変わらないが、あの時、シンジくんを迎えに行った時に逆戻りしているらしかった。もはや、理解という次元は行き過ぎ、実感として認識するより方法が無くなっている。何故ならわたしの記憶は終わりの刻をはっきりと覚えているから。
 本部に逃げてきた理由を話す事は、かなり困難のようだったので昔経験していた自閉症を擬態とし、この場をとりあえず逃れようとわたしは考えたのだった。
 なかなか冴えてるわと自画自賛。と思ったのも束の間、リツコの言葉がわたしの希望を打ち砕いた。
「じゃ、しばらくここにいてもらって様子を見ましょうか。どこまでホントなのか・・・ね。あ、そうそう、ミサトねぇ、初めからこんな失敗するんじゃ作戦本部長解任は確定的よ。最悪解雇も有り得るわね。」
 うぞぉ・・・・それは予想していなかった・・・
 
 
 

 それから2、3日したある日の事。リツコが苦虫噛み潰したような顔でわたしの独房にやってきた。
「ミサト、残念だけど解雇は無し。作戦本部長解任のみに止まったわ。」
 何?その残念だけどっていうのは?こいつはホントに・・・
「で?後任は誰になるの?あんたがやるの?」
「あたしがする訳ないでしょう。今の仕事で手一杯よ。当面は作戦本部長は不在のまま、司令がいらっしゃる時は司令が指揮を執る形ね。後任は一応決まっているけど、まだ話をしてないから。」
「さっさと辞令出せばいいのに。」
 使徒殲滅にそれほどこだわりのなくなったわたしは気のない受け答えをしている。
「断れない状況になってから辞令を出すみたいだけど、それよりあなた・・・それでいいの?」
 訝しげな表情でわたしの顔をジッと見るリツコ。まあ、確かに以前のわたしのネルフ作戦部に対する執着を見ているから、リツコが疑問に思うのももっともだと思う。
「仕方ないじゃないの、事ここに至っては今わたしに出来るのは現状を受け入れて、失地回復に努力するしかないでしょ。」
 あまりにもまともな事を言ったかしら?リツコの顔が驚愕に歪んでいる。
「そっ、それはそうだけど・・・あなたがあんなに拘っていた作戦部の地位なのにね。」
「それはもういいからさぁ、解雇じゃないなら今度はわたしはどこに配属される訳?」
 こういう時のリツコの追求は的を得すぎるから、さっさと話題の転換を計るのがいいのよね。
「作戦行動には直接関係はないけど、当面監査部所属という事になったわ。具体的に言うとチルドレンの管理警護監視役ね。」
 ・・・・・と、言いますと?
「あなたにはサード・チルドレン碇シンジと同居の上、管理警護監視をしてもらいます。辞令は正式に発令されちゃってるから、今度は逃げ出す事は出来ないわよ、ミサト。」
 固まるわたしの視界に、リツコの苦笑する顔が虚ろに入ってきていた。
 
 
 
 
 

シンジ02
 願った事が叶った嬉しさに舞い上がっていたのか、それともあの地獄を体験してきたという精神的余裕があったのか、とにかくぼくはネルフ本部へと連行(?)される間、悠然と黒塗りの大型乗用車の後部座席でふんぞり返っていた。
 かつて、ここに初めて来た時には周りの大人達は、ぼくにとって完全に「大人」だった。自分よりも肉体的精神的に成長していて自分には手の届かない別の人種のように思っていた。
 が、今はどうだろう。肉体的には確かに自分はそこまで成長してはいない。だが、世界の誰も体験出来ない事を経験してきたという、こう言って良いものかどうか分からないけれど「自信」が精神的に彼らと同等かそれ以上の高みに押し上げていて、それが精神的に成長したとぼく自身思いこんでいるようだった。
 おまけに、一度経験してきた時間に逆戻りしてきた訳だから、これからの行動だって自ずとゆとりが出るというものだ。
 ぼくは考える。今のぼくは今のぼくであって、今のぼくではない。もう、ミサトさんや綾波、アスカ、リツコさんたちを悲しい目には遭わせない。ぼくにはそれが出来るはずだ。いや、きっとそうしてみせよう。そのために戻ってきたのだから。
 そんな決意を新たにしているうちに、本部へ到着したらしい。開いたドアの向こうには白衣姿がしっくり填ったリツコさんが立っていた。
 確固たる決意を胸にしているせいか、どこか余裕のあるぼくの眼には、出迎えに出てくれたリツコさんの白衣すら美しさを感じてしまう。
 リツコさんは落ち着いた雰囲気でぼくを迎えてくれた。
「初めまして、ネルフ技術部赤木リツコです。碇シンジくんね、着いたばかりで申し訳無いんだけど、まず司令に面会しないといけないの。本当は挨拶の前にやってもらわなくっちゃいけない事もあったんだけどね・・・・」
 と、ぼくを伴ってエレベータに乗り込んで最上階のボタンを押した。
 
 
 
 
 
 
 
 

 察する所、どうやらリツコさんは変わってはいない様子だ。車の中でも考えていた事だけれど、果たしてどれだけの人たちが戻ってきているのか?
 ぼくは確かに戻ってやり直したいと思った。それは間違い無い。現実にこうしてそのままの記憶のまま時を遡っている。でも、誰をどこに何時といった細かい指定なんかしていない、当然の事だけどね。だからうっかり下手な事は喋れないし、よくよく確認出来てからでないと心は許せない状況にある。
 で、あるが、再びこの現実に立ち戻ったぼくの基本姿勢は、「愛」だ。愛の無い欠けた心の補完を目指して進められた以前の世界。その結果の悲惨さはぼく自身が身に沁みて分かっている。だからこそ、やり直すこの世界の基本コンセプトは「愛」なのだ。
 ぼくは愛を以て、もう一度やり直すんだ。
 ・・・・・・・とはいえ。自我はぼくそのままだけど、知識が余計なほど豊富というのは案外純粋さを阻害しかねないものだ。何故なら、今なら父さんが悪巧みに走る気持ちも分かるから。明晰すぎる頭脳と豊富すぎる知識は、一歩間違えれば気持ちのいいほど変な方向へと向かっていくものだ。ぼくはそれを身を以て知っている。ま、取りあえずは愛で行こう。
 という訳で、以前はむしろ怖さすら感じていたリツコさんだったけど、今は慈しむような気持ちを持って見る事が出来ていた。リツコさんの気持ちだってぼくは分かっているんだから。
「何て呼んだらいいですかね?赤木博士でいいですか?」
「リツコでいいわよ、シンジくん。」
 一瞬憐憫のような表情が浮かんだリツコさん。ああ、この時ぼくの境遇は知っていたんだなって直感した。ほとんど父親に捨てられたと同様の生活を送ってきた事、そしてこれから送る事になるであろう破滅への道を。
「ねえ、リツコさん。父さんの部下として働いているんでしょう?大変でしょうね、父さんの下での仕事は。」
 驚いたように表情を変えたのは一瞬。すぐに笑顔を取り戻したリツコさんは優しい声でこう言った。
「そんな事ないわよ。司令、いえお父さんは大変なお仕事をなさっている立派な方よ。」
「ちょっと長い間放って置かれたから言うんじゃないんですけど、息子に会う暇を削って仕事をしているから、さぞかし部下の皆さんにも厳しく接しているんじゃないかと思って・・・」
「ああ、そういう事でなら、厳しいわねぇ。でも、このネルフにいる職員は高い目標に向かって仕事をしているから、厳しいのは承知の上なの。仕事についてもお父さんについてもね。」
「そうですか。でも、身体には気を付けてくださいね。病気にでもなったら、それこそ仕事どころじゃなくなりますから。疲れたらちゃんと休みを取らないとダメですよ。ぼく父さんに言っておきますから・・・・・」
 ぼくがそう言うと、リツコさんは今まで見たことのない優しくて綺麗な笑顔で言ったのだった。
「ありがとう、シンジくん。君は優しいのね。」
 
 
 

「久しぶりだな・・・シンジ。」
 重苦しい雰囲気満載の趣味の悪い部屋の真ん中で、父さんはデスクに肘を付くいつものポーズを決めてぼくを見据えていた。
 さて、これからどういう風に話を進める気なんだろう。いきなり「乗れ」なんて言わないだろうしね。
「父さん、久しぶりだね、会いたかったよぉ。」
 取りあえずこんな感じでいってみようか?ちょっと戸惑った雰囲気が出てきたぞ。
「しばらくの間、おまえはここで訓練を受けるのだ。」
「なんだぁ、ぼくに出来る事があるんならもっと早くに呼んでくれればよかったのにぃ。訓練?いいよぉ、訓練でも朝練でも何でもいいよぉ。」
 ちょっと軽すぎたかな?
「赤木くん、ちょっと・・・・・」
 すると父さんはリツコさんを呼び寄せて、何事かヒソヒソ話を始めた。何やら、データと違うとか頭打ったのかとか言ってる。しばらくして父さんはぼくに向かってこう言った。
「当面おまえは赤木博士の指示の下、行動するように。それからおまえと一緒に住む事は出来ないが、出張以外は本部にいるから問題なかろう。以上だ。」
「ぅおん、ぼく頑張るよぅ。」
 こう返事をしている自分自身で「変だなぁ」と思い始めているぼくだった。
「赤木くん、データ測定の他に精密検査も念入りに頼む。」
「はぁ・・・」
 リツコさんは、らしくない曖昧な返事を返してぼくを部屋から連れ出した。その表情は明らかにぼくより父さんがどうしたのかと心配しているような顔つきだった。それを見てぼくはとりあえずリツコさんには受け入れられたような感じを受けていた。
 
 
 

 そして、後。
 ぼくはリツコさんに連れられてネルフの誇る大病院の検査室に鎮座在していた。
 それこそ有りとあらゆる検査を、これでもかとばかりにされてしまった。もしかして実験?なんて検査まで。もっともいくら知識を豊富に仕入れて逆行してきたとはいえ、検査の内容まで計り知る事なんか出来ないのは仕方がないだろう。
 まあ、命の危険が無かっただけ幸いと、思うしかないね。
 やっと検査が終わって、一息吐いて廊下に佇んでいると、ふと眼に入ってきたのは忘れようにも忘れられるはずもない、綾波の姿があったんだ。
 
 
 
 

レイ02
 ベッドから降り身体をほぐす。以前にあった怪我も無い。ただ、たんこぶがあるだけ・・・・それが結構、痛かったりする。
 それはさておき、あれは確かに第三使徒だった。とすれば、時期的には碇くんが第三新東京市にやって来たあの日と考えるのが最も自然。そして、その時期に於いてわたしのこの軽傷。歴史が既に少しづつ変化してきている。
 小さな変化は、違う部分での大きな変化に繋がっていると考えて間違いは無いだろう。特に歴史なんかは微妙な因果関係に成り立っているもの。わたしの軽傷という事実が、この先どんな変化に繋がっているのか落ち着いて見極めなければならないわ。
 重傷のはずのこの時期、軽傷だったは是幸い。注意深く行動を開始して情報を収集せねば・・・・・
 という訳で、わたしは病室を抜け出して探索を開始したのだった。
 
 
 

 どこをどう見ても、何の変哲もない見慣れた病院。いつもの患者にいつもの医者。いつもの部屋にいつもの道具。理知的な割にちょっとスットコドッコイになってしまったわたし。
 病院の中を探索したところで、何が分かるというものか。そんな事は考えるまでもなく理解していなくてはならないのに分かってないなんて・・・これがスットコドッコイと言わずして何と言うのだろう。
 変わらぬ表情の内面で激しく落ち込むわたしの視界に、中年になった碇くんを彷彿とさせる人物が飛び込んできた。
 言うまでも無い、それは父親たる碇司令その人だった。
「レイ、よくやったな・・・・・」
 司令はわたしを優しく見つめながらそう言った。でも、少し困惑の色が見えるのはわたしの気のせい?
「・・・・・いえ、偶然です。わたしに初号機があんなに動かせるはずありませんから・・・・・やはり、初号機は専属パイロットの方がいいと思います・・・・・」
 わたしは一応そう答えておく。今の現状ではわたしは碇くんにはまだ逢ってないはずだし、あまりにも現状を把握出来てはいなかったから。
「う、む・・・・そうなるだろうが・・・・・とにかく、おまえも早く傷を癒して任務に復帰するように。」
「・・・・・はい・・・・・」
 答えたわたしの眼には、司令の困惑の色が一気に濃くなるをが映った。でも、ここで司令に出会えたのは良い機会。司令ならばわたしの得たい情報を持っているだろう。
「・・・・・サード・チルドレンは無事でしたか?・・・・・」
 さし当たっての懸案事項。
「無事どころか、元気溌剌としている・・・」
 口調が、完全にこの話題を嫌がっているのを示していた。それでも、渋々ながら司令は言った。
「シンジも、今ここで検査をしているはずだ。どのみち同じチルドレンだから関わり合いは避けられんが、ちょっとわたしが予想していた成長とは違った育ち方をしたようだから、なるべく接近せずに顔見せ程度に挨拶してくるもよかろう。」
 どういう事?わたしは意味を咀嚼しかねて、ジッと司令の顔を見つめたままでいた。
「・・・・・まあ、とにかく見てくるがいい・・・・」
 困惑をありありと見せながら、わたしに検査室の位置を教えると司令はそそくさと、それも足早に立ち去っていった。
 今ひとつ腑に落ちないが、とりあえず碇くんの所在はゲットした訳だから、運命は良い方向へと向かっていると判断する事にしよう。これからのわたしは楽観的にいくの。
 
 
 

 さて、いよいよ探索を開始しようとする段になり、ヒョイッと廊下の反対側に視線を移したらそこには探すはずだった碇くんの姿があった。
 なんという僥倖。客観的に見ればついている状況なのだろう。とはいえ、心の準備も出来ていないしどういう風に対応するかのシュミレーションもしていない。
 無表情だから沈着冷静だけの女と思われても困るのだ。わたしにだって感情はあるし、何より溶け合った過去から帰還して来ているのだからかえって余計とも言える感情まで身に付けている可能性もある。でも、感情の表し方は身についてはいない様子。
 困ったものね。
 さて、肝心の碇くんはいえば、わたしをジッと見ている。凝視といってもいいくらいの見方をしている。でも睨み付けるとかそんな品のない見方じゃないの。
 真っ正面からきちんとわたしを見据える瞳は、真摯で暖かかった。瞳に宿る光はキラキラ輝いてとても綺麗だったわ。こんな綺麗な光は、もはや未来永劫出てこないだろうと思うほど素敵なの。
 ごめんなさい。お惚気に聞こえちゃうかしら。でも、お惚気に聞こえてもらわないと困るの。だって、お惚気だから。
 碇くんはゆっくり歩き出して、わたしの方へ向かってきたわ。わたしだって負けてはいられない。そう思う前にわたしの脚は碇くんへと向かって歩を進め出していた。
 1メートルほどで向かい合ったわたしたちは暫し無言だった。やがて碇くんはスウッと息を吸い込んで口を開いたの。
「君は、ファースト・チルドレン綾波レイちゃんだね。」
 レイちゃんだって・・・・そんな呼ばれ方したのは初めて、いつも綾波、綾波ってしか呼んでくれなかったから。もうわたしの頭はグラグラしている。でも、ここでしっかりして気の利いた答えを返さなくては・・・・
「・・・・・そうよ・・・・・」
 何?何?何?なんでこんな冷たい言い方をするのわたしは?
「・・・・・あなた、誰?・・・・・」
 聞かなくても分かっているのに、どうしてこんな言い方をするのかなぁ、わたしは。
「ぼくは、サード・チルドレンになる予定の碇シンジ。碇ゲンドウの息子なんだ。これから仲間になるらしいんで、よろしくね。レイちゃん。」
 あん、ダメぇ。レイちゃんって呼ばれると身体が熱くなっちゃうわ。どうしよう・・・・・
「・・・・・そう・・・・・」
 何とわたしはそう言い放つと、スタスタ来た方向へ向かって歩き出していたの。
 ちょっと、ちょっと、どこ行くの?戻ってよ、もっと碇くんと話をするんだから・・・・
 あ〜〜〜もう・・・・・・
 
 
 
 
 
 

ミサト03
 果たして、どこでどうなってこうなったのやら・・・
 わたしの新居となるべきマンションの部屋には、運び入れられているはずの荷物は何も無かった。そこは入居前のガランとした空虚な空間。
「ミサト?何しているの?部屋はこっちよ、早く来て。」
 わたしが取り落とした鍵を拾い、声を掛けてきたのは言うまでもなく親友の赤木リツコ。おそらくこれから始まる家族ゴッコの張本人。
「あなたの荷物も運んであるから、一緒に来てよ。」
 恨めしそうに彼女の顔を見つめるわたしの気持ちなど、全く意に介さないようにそう言い放って歩き出す魔女。
「・・・なにか言った?」
「いんえ。何も・・・・・」
 忘れていた。こいつの地獄耳。
 向かった先は、更に上の階にある広い部屋だった。同じマンションにこんな良い部屋があったの?ってくらいに広く豪華な部屋だった。
「じゃ、保護監察。お願いね。」
 魔女はただそれだけを言い残して、有無も言わさず立ち去った。ポツンと残されたわたしの前には、見慣れた二人の少年と少女が立っている。言わずと知れた碇シンジと綾波レイだった。何故二人がここにいるのかはリツコが告げた保護監察の対象であることは明白だったが、二人一緒は予想外。はてさて、どうしたものか。
「え〜、初めまして。葛城ミサト一尉です。こっ、これからよろしくね、シンジくん。レイもこれからは一緒だから頼むわね。」
 わたしはそう言いながら二人の表情を窺っている。シンジくんはジッとわたしの顔を見つめて何かを言いたそうな素振りだが、声は出てこないようだ。前のシンジくんとはちょっと感じが違う気がする。眼の光がかなり違うようだ。今はそう、瞳に力がある。意志の力が漲っているような雰囲気。気のせいだろうとは思うのだが、ちょっと気になるわね。レイは変わってなさそう。無表情がこれほどはまる娘も珍しい。
 しかし・・・・・
 見てる、見てる。二人とも無言のまま、ジッとわたしの顔を凝視してる。とてもじゃないけど居たたまれない。
「へっ、部屋割りどうしよっかぁ。」
 取りあえず、逃げる事にしたわたし。が、シンジくんの言葉がわたしの逃げ場を奪った。
「部屋割りなんかもう決めてます。ミサトさんは真ん中の一番広い部屋を使って下さい。ぼくはその隣、綾波はそのまた隣にしました。まだ使ってない部屋もありますが、これは決定です。いいですね。」
「いいですねって言ったって・・・」
「代わりと言ってはなんですが、家事全般にわたってぼくらが担当してあげます。ミサトさんは何もしなくて結構です。出来ればなるべく部屋を散らかさないようにして下さい。あ、それとキッチンへの出入りは厳禁。ビール用の冷蔵庫は別に用意します。とにかく、食べ物を作るという作業を絶対にしないで下さい。」
「な、なによぅ、それぇ。」
 まるで生活破綻者のような物言い。ちょっぴりプライドが傷ついたわたしは喰ってかかろうとしたが、あっさり喰って掛かられた。
「なによもこのよもありません。リツコさんから聞いてますからね。ミサトさんはカップ麺にお湯を注ぐだけで毒を作るそうですからね。つべこべ言わずにぼくの言う事を聞いて下さい。いいですね?もっとも、ぼくらに殺意でもあるなら別ですが・・・」
「わ、わかったわよぅ。」
 とんでもない言われようだったけど、シンジくんの眼はマジだった。後ろではレイまでうんうん頷いてるし。
「じゃ、さっさと荷物を片づけて下さい。」
 自分の部屋に割り振られた部屋に、わたしはあっさり蹴り込まれてしまった。
 渋々ながらも部屋を片づけるわたし。嗚呼、なんと健気なんだろうと一人思う。しかし、その実体は片づけなければ寝る事すら出来ない状態。ようやく寝床のスペースを確保して布団を引っぱり出して横になった。
(はてさて、どうなるのやら・・・)
 わたしの思考は堂々巡りの果てに、いつしか深い眠りの底へと落ちていくのだった。
 
 
 
 

シンジ03
 リツコさんの指示の下、ぼくは見慣れたマンションの見慣れない階の見慣れない部屋へとやってきた。綾波も一緒にだ。
 リツコさんの手前もあって積極的に綾波に話掛ける事は出来なかったけれど、何となく綾波の態度がかつてのように冷たいだけって感じとは違う感じをぼくは受けていた。
 それがどういう事なのかは現状では判断出来ないけれど、ぼくとしてはとっても良い事ではあった。
「ここがあなたたちの新居になるのよ。」
 結構微妙な言い回しな気がする。ぼくはいささか照れてしまい、少々俯いたりしたものなのだが、綾波は気にも留めずといった風情で部屋の中を睥睨しながら歩き回っていた。そんな所は変わらないなぁなんて思ったんだけど、よく考えれば綾波が新居を見て回るという事自体変わったという事にその時は気が付かなかった。
「それにしても、あなたたちってどうしてこうリアクションが不足しているのかしらねぇ・・・」
 と、リツコさんはため息なんか吐いているが、いったいどんな反応を求めていたのだろう?まさか綾波に大はしゃぎさせるとか考えていたのか?いくらなんでもそれは無いだろう。とすればぼくの反応なのか?
 成長してしまった今のぼくには、大抵のリアクションを取る事は可能だ。が、時期と現状を考えればあの程度のリアクションで充分だろうと思うのだが、リツコさんは何を求めていたのやら。
「取りあえず、荷物を部屋に分配しましょう。後で大騒ぎになるのはイヤですからね。」
 リツコさんの相手はいい加減に切り上げて、ぼくはそう促してさっさと片づけを始める。ぼくは取りあえず何も考えずに荷物を選り分け、適当に決めた部屋へと割り振りながら放り込んでいく。何も考えずにとは言いながらも、綾波の行動にはどうにも気が行って仕方がなかったんだけど。
 ふと気が付けば、綾波がすぐ近くに寄ってきていた。
「どっ、どしたの?綾波。」
「・・・・・終わったの・・・・・」
 と、綾波は言ったまま、ぼくの顔を凝視しつつ突っ立っている。
 ぼくは綾波の部屋に割り振った部屋を覗き込む。とそこには備え付けの家具の他はちんまりとしたバッグが一つあるだけだった。
(そうだった、綾波が荷物なんて気の利いたもの持ってるはずなかったんだった。)
 ぼくはそう思いつつ振り向いて何か言葉を発しようとしたらば、視界に腕まくりする綾波が飛び込んできた。
「あ、綾波。何するの?」
「・・・・・お手伝い・・・・・」
 やる気満々な紅い稲妻のような視線を受けては、もう何も言う事は出来まい。何と言っても綾波にべた惚れなぼくなだけに。
「そ、そう・・・ありがと。」
 そうは言ってもあまりの迫力に声も縮みがちなぼくだった。
 
 
 
 

 てな訳で、予想外のテキパキした綾波のお手伝いのおかげでぼくの部屋の片づけもすぐに終わった。ミサトさんの荷物は容赦無く部屋に放りこんだままだったが、ぼくはそこまでしてあげる気は無く、綾波に至っては考えてもいなかった様子だった。
「さて、粗方終わったからお茶でも煎れようか?」
 ぼくがそう言うと綾波がスッと移動しながら言ったのだった。
「・・・・・わたしがやるわ。碇くんはそこにいて・・・・・」
 驚くなと言う方が無理じゃないかな。
 綾波が、あの綾波が率先してお茶を煎れようとするなんて。
 ぼくは呆然と固まったまま、綾波がキッチンからお茶の用意を持ってくるまで身動き取れない状況に置かれる事と相成ったのであった。
 その後、ミサトさんがやって来て幾分きつめの言葉をぼくは投げかけたがその位は良いと思う。
 だって、あの生活は中学生には余りにも酷というものだったと思うから。
 取りあえず、その夜は何事も無く過ぎ去っていった。
 
 
 
 
 

レイ03
 部屋のお片づけを、碇くんと一緒にしてしまった。葛城一尉の荷物までするとは思いも寄らなかったけれど、当面荷物も片づき人の暮らせる部屋になった。
 と言っても葛城一尉の荷物は部屋に放り込んだままだったけど。かえってその方が良い事だったと思う。もし、あの牛のいやらしい下着やらが出現したりして、わたしの碇くんの気持ちを惑わす事になったら困りものだから。
 その気になってもらうのはまだ時期尚早。じっくり攻め込まねばなるまい。
「・・・・・わたしが煎れるわ・・・・・」
 お茶を煎れようとしていた碇くんに、わたしは静止を掛ける。だってお茶くらい女の子のわたしに煎れさせてくれてもいいと思ったから。
 その時、碇くんの時が止まったようになる。わたしは不思議に思ったが、当面の標的はお茶を煎れる事。
 ふっふっふ・・・・
 結構やれば出来るものね。還ってきた事が経験値を増しているのか思いの外上手く煎れる事が出来てしまった。
 碇くんの前に差し出すお茶。ぎこちなく手を伸ばし啜る碇くん。
「んまい。」
 お褒めの言葉。最初の「ん」というのがちょっと引っかかるけど、概ね良好。
 その後、しばらく碇くんとのふたりっきりの一時を過ごしたら、赤木博士が葛城さんを引き連れやってきた。碇くんはきつい言い回しで葛城さんを部屋へ追い立て片づけを強要していたが、わたしは過去の記憶で生活能力ゼロという事を良く知っていたので、ただ頷いているだけだった。
 そして、その夜は碇くんがわたしの部屋へ忍び込んでくるかと期待していたが、そんな事も無く粛々と過ぎ去っていったのだった。


お便りこっちだよん prost0@mizar.freemail.ne.jp
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