それから・・・・・

製作 越後屋光右衛門雷蔵


霧雨の降る東北の*島空港。

レイの住む地方都市から一時間ほどの所にある。

レイの学校の吹奏楽部特別公演の前日。レイはマナを伴ってメンバーを迎えにやって来ていたのだ。

成績優秀な上に語学も堪能、英語フランス語ドイツ語の三カ国語を操るレイは海外の客を迎えるのにもってこいの人材であった。

5年の月日はいつまでもレイを無愛想なままでは居させなかった。無論基本的には無愛想である。だが、必要最低限の人付き合いは覚えてしまっている。

余計な事は話さず、自分を目立たせないようにする態度は、海外の客には控えめで人を立てる日本女性の理想に映り、非常に好評を博している。

そんな訳で、レイはそこにいたのだった。

「時間はそろそろじゃないの?」

マナが時計を見ながらレイに問いかける。到着時間の30分前、そろそろ到着のアナウンスがあってもよさそうな頃だ。

「・・・・・そうね・・・・・」

レイも時間を確認して到着の掲示板に視線を軽く投げる。

「どんな人が来るのかな?若くてかっこいい人たちだったりして・・・・・」

年頃の女の子らしいたわいのない会話を振るマナ。

「・・・・・くす。そんなに若い人はいないみたいよ。30代の人たちばかりみたいだし・・・・・・あ、一人わたしたちと同じ歳の人がいるけどね。一人だけよ・・・・・・」

頭に入っているデータから、素早く年齢をチェックして答えるレイ。

「へえ、それでもそんな若い人がいるんだ?なんて人?」

「・・・・・えっと・・・S・ローレンツって名前だったわ。ファースト・ネームは書いてなかった・・・・・」

ローレンツという姓には良い思い出は無い。それどころか、出来れば聞きたくはない姓である。

ゼーレ。人類補完委員会議長、キール・ローレンツの名はレイも知っていた。サード・インパクトを起こした張本人。

碇シンジを追い込む元となったすべての元凶を作った男。

心に微かな翳りを帯びていたレイの耳に、空港の到着アナウンスが入ってきた。







「(英)わざわざ出迎え恐縮です。」

レイとマナの前に立った男は満面の笑みを浮かべてそれぞれと握手を交わしていた。

「・・・・・(英)いいえ、とんでもありませんわ。お疲れになったでしょう・・・・・」

レイが流暢な英語で返事を返す。

「(英)いやなに、平気ですよ。じゃあ、早速ですが我々は一旦ホテルに入ってすぐにそちらの学校へ向かいます。チューニングやら音合わせは早い方がいいですからな。」

男はそう言って入国ゲートに視線をやり、再び口を開いた。

「(英)あと一人、我々の通訳兼チェロ・プレーヤー兼アドバイザーのローレンツという男が来ますが、パスポートがどうのこうのでちょっと足止めを喰っているようです。先にホテルに行っていますので、お二人はその男を待っていてください。」

「・・・・・(英)ご案内しなくても大丈夫ですか?・・・・・」

「(英)大丈夫ですよ。ローレンツから虎の巻をもらっていますから。じゃあ、お願いしますね。」

男たちは二人に手を振りながら去っていくのであった。

レイはマナにその事を説明し、ローレンツを待つ事になった。

待つことおおよそ5分程度。

浅黒く日焼けをしたサングラスの長身の男が、ゲートを出てきた。

「あ、あの人よ。きっと。」

マナがレイの囁いた。男は片手に軽々とチェロのケースをぶら下げていたからだった。

「・・・・・そうね・・・・・」

レイは返事をしながら、考えている。

(・・・・・なにか今日はあまり良い気分になれない・・・・・ローレンツという名前もそうだけど、あの人はどこか碇司令を思い出させる・・・・・・)

長身でサングラスをかけ視線を隠すスタイルは確かにゲンドウに通じる所がある。

それでも、案内しなくてはならないので、ローレンツに向かって歩き出し声を掛ける。

「・・・・・(英)ローレンツさんですか?・・・・・」

レイがそう声を掛けたとたんに、ローレンツは驚愕の表情を見せる。サングラスに隠れた視線が無くとも驚きが伝わるくらいだから、相当びっくりした様子であった。

「・・・・・(英)どうかなさいましたか?・・・・・」

訝しげにレイが言う。

「き、君は・・・・・・」

「・・・・・え?・・・・・」

「綾波・・・無事だったのか?・・・・・」

そう言ったとたんにマナがダッとローレンツの前に立ちふさがるのだった。

「あなた、何者?」

警戒した視線をローレンツに向けるマナに、ローレンツは悲しそうに呟く。

「ぼくが・・・・そうか・・・・わからないの・・・か・・・・」

ローレンツはおもむろにサングラスを外して二人を見下ろしながら言った。

「久しぶりだね、綾波にマナ。ぼくだよ、シンジだよ。」

恐る恐るマナの後ろから見ていたレイは、サングラスの下から出た、どんな時でも忘れた事のない優しい瞳を認識すると、そのカラー・コンタクトに隠された紅い瞳を大きく見開くのであった。

その瞳を想う度に、どれほどの夜を涙で枕を濡らしたのであろうか。

どれほど、どんな成長をとげたのかを想い悶々とした夜を過ごした事であろうか。

辛うじて残った14歳当時の写真を胸に抱き、どれほどのため息を洩らしたことか。

心の底にマグマのように噴火を待っていた喜びの奔流は、レイの神経を耐えきれないほどの勢いで流れ出す。意識すら彼方へと押し流すかのように。

そして、レイは気を失った。


















眼を覚ませば、見知らぬ天井。

「・・・・・また・・・夢だったの?・・・・・」

いつも見る愛しいシンジとの再会の幻想。それはレイにとって幸せのひとときであり、目覚めた時の現実を直視させる悲しいプレリュード。

ふといつもと違う気配を側に感じて視線を横に向けるレイ。

「綾波はベッドの上が似合ってるね。変な意味じゃないけどさ。」

優しい微笑みを浮かべるシンジがそこにいた。凛々しく成長したシンジが。

眼をパチクリさせて入ってくる情報を認識しようと努めるレイの脳細胞。

「髪、染めたの?眼はコンタクトだろ。どんな色でも綾波に似合うから不思議だな。」

「・・・・・い、碇くん?・・・・・」

ようやく認識を果たしたレイの脳細胞は、掠れた声で発声を命じる。

「うん。逢いたかったよ、綾波。」

震える手で恐る恐るシンジに触れようとするレイ。確かめたい、シンジがそこに実在する事を。だが、夢であった時の落胆を思うと確認すら躊躇われるのだった。

そんなレイの気持ちを知ってか知らずか、シンジがその手をそっと握る。

「生きていてくれて・・・・・本当によかった・・・・・」

ジッと自分の瞳を見つめるシンジの顔が急にぼやける。

レイは大粒の涙をポロポロ零し、ガバッと跳ね起きシンジにしがみつく。

「・・・・・・・・・・・・・」

声にならない嗚咽を洩らすレイにシンジは言った。

「ぼくはまだ臆病で自分に自信が持てない卑怯者だけど、綾波はぼくに逢えて嬉しくて泣いているんだって思っていいよね。」

シンジが漆黒に染められたレイの髪を、指で梳きながらしっかりと肩を抱く。

「・・・・・嬉しい時でも涙は出る事を教えてくれたのは、碇くんよ・・・・・わたしは忘れた事はないの・・・・・」

「そうだったね。ぼくは綾波が起きる前に泣いちゃったから、今は出ないけどさ。」

クスッと微笑みを浮かべてシンジはレイに尋ねた。

「ぼくはすぐ綾波だって判ったけど、綾波は判らなかったみたいだね・・・・・ぼくそんなに変わったかな?」

ハッと口に手を当て口ごもるレイ。

「・・・・・ご、ごめんなさい・・・こここ、こんなに素敵になってるなんて・・・し、知らなかったし・・・・・」

自分が言ったせりふにやや赤面しながら、やっと思い出したという仕草でレイはシンジに問いかけた。

「・・・・・それはそうと、ローレンツって名前は・・・・・」

「うん、今はデューク・ローレンツという人の養子になったんだ。フルネームは碇・シンジ・ローレンツだよ。デュークは、綾波も知ってるだろうけどキール・ローレンツの息子なんだ。」

レイは二、三度瞬きをして間を置く。そして、

「・・・・・その人はいい人なのね?・・・・・」

と、シンジに問いかけた。

「そうだよ。親と子供は別、そう全然違うからね。デュークはゼーレを再編成して今の世界の復興の礎を築いた、大した人物だよ。この世界に戻ってきたネルフ関係者はほとんど新生ゼーレの所属になっているしね。在野に下った人もいるけどさ。」

「・・・・・そう、よかった・・・碇くんが辛い目に遭ってないか心配だったの。マナに頼んで碇くんの消息を探してもらったりしたんだけど・・・・・」

「判らなかっただろ。ぼくはゼーレの中でもトップ・シークレットの扱いだから・・・・・それより綾波は辛い事はなかったの?ぼくの方が心配だったよ、生きているかも分かんなかったしさ。」

「・・・・・わたしは平気よ。マナにも助けられたし、それに碇くんにきっとまた逢えるって信じてたから・・・・」

「そうっか。」

シンジは時計を見ながら言葉を繋げる。

「その話は後でゆっくり聞くとして・・・・・身体は平気?」

「・・・・・ええ、問題ないわ・・・・・」

「そろそろ会場に行かないと、マナもぼくの仲間も右往左往してるかもしれないね・・・・・」

レイも時間を確認し、

「・・・・・いっ、いけないっ・・・・・」

慌ててベッドを飛び降り、シンジと手を取り合って空港医療室を後にするのであった。









慌ただしく、演目の打ち合わせやら音合わせやらで、アッという間にその日は過ぎ去る。

当日の演奏会も、無事万雷の拍手とスタンディング・オベーションで締めくくられ、大成功と言っていい程の成果を収めた。

そして、アッという間にシンジの滞在期間は過ぎ去っていった。

元来、長期滞在の予定はなく演奏会が終わればすぐにヨーロッパへ移動しなくてはならない身であった。

それでも、メンバーとは別に一日滞在を伸ばしたのは、ひとえに再会成ったレイと話をしたいがためであるのは言うまでもない事。

到着したのと同じ、*島空港。

「じゃあ、行くけど・・・・身体に気を付けてね。」

レイの蒼銀の髪を撫でながらシンジは、苦笑しながら言うのだった。

「・・・・・うっ・・・・ぐすっ・・・・・やっと・・・やっと・・・逢えたのに・・・・・」

レイは激しく泣きじゃくっている。

「一旦帰るだけだよ。」

「・・・・・でも・・・・・でも・・・・・・」

漆黒に染められていた髪は元の色に戻し、カラー・コンタクトも外した。

それは、シンジがとりあえずゼーレのミサトに連絡し、今は亡きゲンドウの最期の贈り物をレイに渡したがためであった。

ゲンドウの贈り物とは、補完計画の後にレイの復活を予測していたかのように、レイの戸籍を用意しておいた事であった。

無論、偽造ではあるのだが世界最高峰の偽造と言える戸籍であった。

レイ本人はおろか三代前の系譜まで完璧に作り上げてあり、ここにレイは名実共に「綾波レイ」として生きていく事が出来るようになったのだ。

シンジとの別れに、言葉も出ないレイの代わってマナが言う。

「レイの気持ちも分かってよ。これまではシンジくんにきっと逢えるって思って頑張ってきたのよ。やっと逢えたと思ったらすぐ帰るじゃあレイは我慢出来っこ無いと思わないかなあ。」

涙で顔をグショグショにしながら、レイはこくこくと首を縦に振る。

「分からない事はないけどさ・・・・・・・」

「いっその事、連れていっちゃったら?ホイホイくっついていくわよ、この娘。」

再びブンブン首を縦に振るレイ。

「パスポート持ってないんじゃないの?綾波・・・・」

今までの生活自体が隠遁生活であったがために、パスポートなんぞは取得出来るはずもない。

「・・・・・うっ・・・・うええ〜〜〜ん・・・・・・」

痛い所を突かれたレイは、ついに声を出して泣き始める。

「ふうっ・・・・・」

シンジはギュッとレイを優しく抱きしめた。

「ほんの少しだよ。ちょっとさ。ぼくはもういなくならない。そして綾波もいなくならない。たとえいなくなっても、綾波が生きているのが分かったんだ、どんな事をしてでも探し出すよ。だから、ね。」

レイは渋々ながら、ホントにこれ以上往生際は悪くなれない程の渋々さで、泣くのをやめる。

「・・・・・ホントに・・・・少し?・・・・・」

「ホントさ。」

「・・・・・じゃあ、もうちょっと・・・・がんばる・・・・・」

「うん、ありがと。それとね、ゼーレから綾波宛に携帯電話送ってくるからね。それが届けばいつでも話が出来るから。」

「・・・・・ゼーレから?・・・・・」

「ミサトさんに連絡したろ。綾波もゼーレの保護に入ったから。」

レイの表情が曇りだす。

「・・・・・また実験とかテストなんか・・・するの?・・・・・」

「そんな事しやしないよ。扱いがぼくと同じになるだけさ。ゼーレのトップ・シークレット、最上級の保護レベルを有するだけ。監視や観察する訳じゃないから安心していいよ。電話だって費用全部ゼーレ持ちだし、そんな境遇になったんならうまく使わないとね。」

「・・・・・わかった・・・・届いたら、すぐに電話するわ・・・・・」

話しながら出発ゲートをくぐるシンジ。

「じゃあ、行ってくるから。マナ、綾波を頼むよ。」

シンジはマナに向かってそう言いながらレイを見る。

レイの眼からは、止まっていた涙が再び溢れ流れ出している。

「・・・・・ちょっとよ・・・・もう、少ししか待てないから・・・・・もう・・・待てないの・・・・・・・」

シンジはレイの顔をそっと上向かせ、その花のような唇に軽くキスをした

「忘れないで。ぼくはもう綾波を離さないよ。どこにいてもぼくは綾波の側にいるから・・・・・」

そう言ってシンジは手を振りながら去っていく。

「・・・・・碇くん・・・碇くん・・・碇くん・・・・・」

レイの呟きは、シンジの乗った飛行機が見えなくなるまで続いたのであった。



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